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12月1日 誕生日 伊庭 孝
12月1日 誕生日 伊庭 孝(いば たかし、1887.12.1〜1937.2.25) 東京出身の俳優、演出家、作詞家、音楽評論家。西洋音楽と語学に秀で、キリスト教に入信したのち同志社神学校に進むが社会主義思想を唱えて中退。上京し出版社勤務の傍ら演劇に傾倒し、草人らと評論活動を始める。 1912年「近代劇協会」を設立、翌年には帝劇でオペラ『ファウスト』を手がける。ダンサー高木徳子と「歌舞劇協会」を結成し、浅草で上演した『女軍出征』が大成功。「浅草オペラ」の火付け役となった。1919年以降は松竹や根岸興行部で歌劇団を率い、多くの新作を送り出した。 引退後は音楽評論に専念し、ラジオ歌劇の訳詞・企画にも関わり、日本のオペラ普及に大きく貢献した。
2025年12月2日


11月30日 誕生日 カール・レーヴェ
11月30日 誕生日 カール・レーヴェ(Carl Loewe, 1796.11.30〜1869.4.20) ドイツ初期ロマン派音楽の作曲家・声楽家・ピアニスト。幼少期に母から音楽を学ぶ。ケーテンとハレで聖歌隊員を務め、美声によって注目され、ジェローム・ボナパルトから奨学金を受けてハレ大学で神学と音楽を学んだが、1813年の王の逃亡により援助は途絶えた。シュテティーンへ移り、オルガニスト兼音楽監督として働きつつ作曲に専念し、ゲーテの《魔王》をはじめ多くのバラードを発表した。他にもリュッケルト、シェイクスピア、バイロン等の詩をもとに、語りの技巧と劇性を融合した独唱バラードを多く書いた。オペラ・オラトリオ・器楽曲も手がけ、後年は声楽家としても有名になり、ピアニストとしても活躍した。
2025年11月30日


11月29日 誕生日 ガエターノ・ドニゼッティ
11月29日 誕生日 ガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti,1797.11.29〜1848.4.8) イタリアのオペラの作曲家。70作以上のベルカント・オペラを残した。 貧しい家庭に生まれたが、ヨハン・ジモン・マイアーに才能を見出され、彼の支援でボローニャ音楽院に進学。デビュー作が成功し兵役免除を得る。ナポリのサン・カルロ劇場を拠点に活動し、ここで51作を初演した。代表作には、《ランメルモールのルチア》、ミラノで大ヒットとなった《アンナ・ボレーナ》、そして喜劇《愛の妙薬》など。教会検閲に悩まされパリへ移住し、以後はパリを中心に作曲を続け、《連隊の娘》、《ドン・パスクワーレ》といった名作もこの時期に生まれた。晩年は精神を病み、1848年に生涯を閉じた。 音音工房のドニゼッティ 『ドン・パスクワーレ』二重唱| 宮地江奈&黒田祐貴 https://youtu.be/okPrbsCWkFM
2025年11月29日


11月28日 誕生日 ジャン=バティスト・リュリ
11月28日 誕生日 ジャン=バティスト・リュリ(Jean-Baptiste Lully, 1632.11.28〜1687.3.22) フランス王国盛期バロック音楽の作曲家。粉挽き職人の家に生まれ、ほぼ独学でギターやヴァイオリンを学ぶ。才能を見出されてフランスに渡り、正式な教育を受ける。1653年、『王の夜のバレ』出演をきっかけにルイ14世の寵愛を受け、間もなく宮廷付き作曲家となり、さらに自前の楽団プティ・ヴィオロンを組織して新しい宮廷音楽の中心人物となった。モリエールとの「コメディ=バレ」で大成功を収め、王立音楽アカデミーを買収してフランス語歌劇創造に乗り出す。『カドミュスとエルミオーヌ』以降、叙情悲劇を次々に生み、王室から絶大な信任を得た。しかし放埒な私生活から不興を買い、晩年はその地位も揺らぐ。『テ・デウム』の指揮中に杖で自らの足を強打し壊疽を発症し死去した。
2025年11月28日


11月27日 命日 アルテュール・オネゲル
11月27日 命日 アルテュール・オネゲル(Arthur Honegger、1892.3.10〜1955.11.27) フランスで活躍した作曲家。幼少期から母に音楽の手ほどきを受け、1910年には最初の作品が出版される。パリ音楽院へ進み、同窓のミヨーと終生の友情を結んだ。第一次大戦中はスイス軍に従軍するが、すぐにパリへ戻り活動を再開。コクトー周辺の芸術家たちと交わり「フランス6人組」として知られるが、本人はプロテスタントでワーグナーにも強い共感を抱き、独自の立場を保った。1921年の《ダヴィデ王》で独立した作曲家として認められ、《パシフィック231》で国際的名声を獲得する。続いて《アンフィオン》、《火刑台上のジャンヌ・ダルク》を完成させ大成功を収めた。戦後は各国を巡り創作の新境地を探求。声楽作品、交響曲、映画音楽まで幅広い分野に足跡を残し、その肖像はスイス20フラン紙幣にも刻まれている。
2025年11月28日


11月26日 命日 ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ
11月26日 命日 ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(Joseph von Eichendorff, 1788.3.10〜1857.11.26) ドイツの小説家、詩人。プロイセン王国の官吏であった父のもと、カトリック貴族の家に生まれ、幼少期を城の豊かな自然に囲まれて過ごした。ハレ大学では法学を、ハイデルベルク大学では哲学を専攻。大学卒業後は文学への情熱を深めるためウィーンやパリを旅し、クライストやシュレーゲルら浪漫派の中心人物と交流する。1813~1815年にはナポレオン戦争で従軍しながら長編小説『予感と現在』を発表、晩年は文学史研究に力を注ぎ、『ドイツ詩文学史』などを執筆。プロイセン政府の行政官としての道を歩みつつ執筆を続け、ドイツ文学に大きな足跡を残した。また、シューマン『リーダークライスOp.39」、ヴォルフ「アイヒェんドルフ歌曲集」など、数多のドイツ歌曲の中でもその名を知られている。
2025年11月28日
11月25日 命日 三島 由紀夫
11月25日 命日 三島 由紀夫(みしま ゆきお、1925.1.14~1970.11.25) 東京出身の小説家、劇作家、評論家。 東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。49年、最初の長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。華麗な文体と特異な心理分析、古典美によって裏打ちされた作風で多くの作品を発表。ノーベル文学賞候補に何度も挙げられた。70年11月25日に自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。 オペラになった三島由紀夫 あやめ(牧野由多可) 金閣寺(黛敏郎) 黒蜥蜴(青島広志) 午後の曳舟(ヘンツェ) サド侯爵夫人(青島広志) 浄土(ジェームズ・ウッド) 卒塔婆小町(石桁真礼生) 班女(細川俊夫) 鹿鳴館(池辺晋一郎)
2025年11月25日
11月24日 命日 ジョヴァンニ・フェリーチェ・サンチェス
11月24日 命日 ジョヴァンニ・フェリーチェ・サンチェス(Giovanni Felice Sances, 1600年頃〜1679.11.24) ローマのコッレージョ・ジェルマニコで学び、ボローニャやヴェネツィアで活動を広げ、1636年にはパドヴァで初のオペラ《Ermiona》が上演され、自らも舞台に立った。同年ウィーンへ移り、宮廷礼拝堂のテノール歌手として迎えられる。フェルディナント3世のもと、副楽長に任命され、ベルタリと協力してイタリア・オペラの上演を宮廷文化の中心へと押し上げた。1669年にベルタリの後任として宮廷楽長となり、当地で没した。 音音工房のサンチェス 簒奪者にして暴君 | 彌勒忠史/朴令鈴 https://youtu.be/k-pjClx-k80
2025年11月24日


11月23日 誕生日 マヌエル・デ・ファリャ
11月23日 誕生日 マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla, 1876.11.23〜1946.11.14) スペインの作曲家。マドリードでピアノを学ぶ傍ら、スペイン音楽復興の中心人物ペドレルに作曲を師事し、民族音楽への関心を強く植え付けられた。初期にはサルスエラを多数書き、重要作として1幕オペラ《はかなき人生》(1905)がある。パリへ移り、デュカス、ラヴェル、ドビュッシーらの印象主義の影響を受け、前衛芸術家集団「アパッシュ」にも参加した。第一次大戦勃発により1914年帰国すると、《スペインの庭の夜》《恋は魔術師》《三角帽子》など代表作を次々に完成させ、民族性と印象主義を融合した独自の語法を確立した。1921年以降はグラナダで隠遁生活を送るが、スペイン内戦で親友ロルカが殺害されたことを契機にアルゼンチンへ亡命、当地で死去。のち遺体はスペインに戻され国葬で葬られた。
2025年11月23日
11月22日 誕生日 ベンジャミン・ブリテン
11月22日 誕生日 ベンジャミン・ブリテン(Edward Benjamin Britten, 1913.11.22〜1976.12.4 ) イギリスの作曲家・指揮者・ピアニスト。 音楽好きの母の影響で幼少から作曲と演奏の才能を示した。王立音楽大学で作曲とピアノを学び、《シンフォニエッタ》など初期の重要作を生む。卒業後は郵政局映画部で映画音楽を多数手がけ、37年《フランク・ブリッジの主題による変奏曲》で国際的な名声を獲得した。第二次大戦前にテノール歌手ピーター・ピアーズと渡米、帰国後、オペラ《ピーター・グライムズ》大成功により、パーセル以来の英国オペラ復興の旗手となる。48年にはオールドバラ音楽祭を創設。56年に来日、N響を指揮し自作を演奏。能舞台『隅田川』に感銘を受け、《カーリュー・リヴァー》を作曲。76年、音楽家として初の一代貴族に叙せられた。
2025年11月22日
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