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11月25日 命日 三島 由紀夫
11月25日 命日 三島 由紀夫(みしま ゆきお、1925.1.14~1970.11.25) 東京出身の小説家、劇作家、評論家。 東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。49年、最初の長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。華麗な文体と特異な心理分析、古典美によって裏打ちされた作風で多くの作品を発表。ノーベル文学賞候補に何度も挙げられた。70年11月25日に自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。 オペラになった三島由紀夫 あやめ(牧野由多可) 金閣寺(黛敏郎) 黒蜥蜴(青島広志) 午後の曳舟(ヘンツェ) サド侯爵夫人(青島広志) 浄土(ジェームズ・ウッド) 卒塔婆小町(石桁真礼生) 班女(細川俊夫) 鹿鳴館(池辺晋一郎)
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11月24日 命日 ジョヴァンニ・フェリーチェ・サンチェス
11月24日 命日 ジョヴァンニ・フェリーチェ・サンチェス(Giovanni Felice Sances, 1600年頃〜1679.11.24) ローマのコッレージョ・ジェルマニコで学び、ボローニャやヴェネツィアで活動を広げ、1636年にはパドヴァで初のオペラ《Ermiona》が上演され、自らも舞台に立った。同年ウィーンへ移り、宮廷礼拝堂のテノール歌手として迎えられる。フェルディナント3世のもと、副楽長に任命され、ベルタリと協力してイタリア・オペラの上演を宮廷文化の中心へと押し上げた。1669年にベルタリの後任として宮廷楽長となり、当地で没した。 音音工房のサンチェス 簒奪者にして暴君 | 彌勒忠史/朴令鈴 https://youtu.be/k-pjClx-k80
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11月23日 誕生日 マヌエル・デ・ファリャ
11月23日 誕生日 マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla, 1876.11.23〜1946.11.14) スペインの作曲家。マドリードでピアノを学ぶ傍ら、スペイン音楽復興の中心人物ペドレルに作曲を師事し、民族音楽への関心を強く植え付けられた。初期にはサルスエラを多数書き、重要作として1幕オペラ《はかなき人生》(1905)がある。パリへ移り、デュカス、ラヴェル、ドビュッシーらの印象主義の影響を受け、前衛芸術家集団「アパッシュ」にも参加した。第一次大戦勃発により1914年帰国すると、《スペインの庭の夜》《恋は魔術師》《三角帽子》など代表作を次々に完成させ、民族性と印象主義を融合した独自の語法を確立した。1921年以降はグラナダで隠遁生活を送るが、スペイン内戦で親友ロルカが殺害されたことを契機にアルゼンチンへ亡命、当地で死去。のち遺体はスペインに戻され国葬で葬られた。
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11月22日 誕生日 ベンジャミン・ブリテン
11月22日 誕生日 ベンジャミン・ブリテン(Edward Benjamin Britten, 1913.11.22〜1976.12.4 ) イギリスの作曲家・指揮者・ピアニスト。 音楽好きの母の影響で幼少から作曲と演奏の才能を示した。王立音楽大学で作曲とピアノを学び、《シンフォニエッタ》など初期の重要作を生む。卒業後は郵政局映画部で映画音楽を多数手がけ、37年《フランク・ブリッジの主題による変奏曲》で国際的な名声を獲得した。第二次大戦前にテノール歌手ピーター・ピアーズと渡米、帰国後、オペラ《ピーター・グライムズ》大成功により、パーセル以来の英国オペラ復興の旗手となる。48年にはオールドバラ音楽祭を創設。56年に来日、N響を指揮し自作を演奏。能舞台『隅田川』に感銘を受け、《カーリュー・リヴァー》を作曲。76年、音楽家として初の一代貴族に叙せられた。
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11月21日 命日 ヘンリー・パーセル
11月21日 命日 ヘンリー・パーセル(Henry Purcell, 1659.9.10?〜1695.11.21) イングランドの作曲家。9〜10歳頃に王室礼拝堂の少年聖歌隊に入団し、音楽教育を受けた。15歳で変声期を迎えて聖歌隊を退いた後、王室の楽器管理補佐、ウェストミンスター寺院のオルガン調律師を務める。また、英国伝統の作曲家バードやギボンズの作品の写譜を通して、作曲の知識を身につけていった。18歳で王室弦楽合奏隊の作曲家に抜擢され、寺院オルガニストにも就任した。 王室の祝賀音楽やオード、劇付随音楽などで頭角を現し、1689年にはバロック最大の傑作《ディドとエネアス》を初演。以後《アーサー王》《妖精の女王》など多数のセミオペラを手がけた。
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11月20日 命日 フランチェスコ・チレア
11月20日 命日 フランチェスコ・チレア(Francesco Cilea、1866.7.23〜1950.11.20) イタリアのオペラ作曲家。ナポリ音楽院で優秀な成績を収め、金メダルと「模範学生」表彰を受けた。卒業制作のオペラ《ジーナ》が成功を収め、出版社ソンゾーニョの目に留まる。委嘱作《ラ・チルダ》はフィレンツェで初演され成功したが、作曲者自身は満足せず総譜も失われた。1897年《アルルの女》がミラノで初演され、若きカルーソが出演して話題となる。王立音楽院の和声教師となり創作を中断するが、1902年《アドリアーナ・ルクヴルール》が大成功し代表作となった。1907年にはトスカニーニ指揮で《グローリア》を初演。1913年にはヴェルディ生誕100年記念の交響詩《人生の歌》を発表。その後ナポリ音楽院院長を長く務め、イタリア音楽教育に大きく貢献した。
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11月19日 命日 吉井 勇
11月19日 命日 吉井 勇(よしい いさむ、1886.10.8〜1960.11.19) 東京生まれの歌人、劇作家。「いのち短し恋せよ少女」の歌詞で知られる『ゴンドラの歌』の作詞者。 維新の功で伯爵となった吉井友実を祖父に、海軍軍人の吉井幸蔵を父として東京・高輪に生まれた。幼少期は鎌倉で過ごし、少年時代から短歌に親しむ。中学卒業後の療養生活で創作に専念し、『明星』に作品が掲載され注目を集めた。早稲田大学に進むが中退し、同年末に北原白秋らと耽美派の拠点「パンの会」を結成。翌年『スバル』創刊に関わり、戯曲『午後三時』、歌集『酒ほがひ』、『祇園歌集』で文筆家として、特に耽美的作風を確立し評価された。「ゴンドラの唄」の作詞でも広く知られる。 音音工房の吉井勇 『ゴンドラの唄』彌勒忠史/朴令鈴 https://youtu.be/5u0S43CN9Vk
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11月18日 誕生日 深尾 須磨子
11月18日 誕生日 深尾 須磨子(ふかお すまこ、1888.11.18〜1974.3.31) 兵庫県出身の詩人、作家。幼くして父を失い、仙台で養女として育つ。京都師範学校在学中は短歌や詩に情熱を注ぎ、放校処分を受けるほどの奔放さを見せた。夫・深尾贇之丞の死を契機に詩作を始め、処女作を発表。明治大学でフランス語を習得してパリを中心に外遊6回、滞在すること10数年に及んだ。パリでは作家コレットに文学を学び、モイーズにフルートを習う。戦前はムッソリーニを称賛した一面もあるが、戦後は平和運動に参加。小説や児童文学も手がけ、多彩な文学活動を展開した。 「斑猫」「黴」「舞」「パリ旅情」といった深尾須磨子作詩の歌曲がある。 音音工房の深尾須磨子 「舞」(金子美香/朴令鈴) https://youtu.be/-VZPTQG01TI 大中恩『五つの現代詩』より「さすらい」(木村善明/朴令鈴) https://youtu.be/Ad0S8tjN2wM
11月18日


11月17日 命日 弘田 龍太郎
11月17日 命日 弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう、1892.6.30〜1952.11.17) 高知県生まれの作曲家。一絃琴の名手だった母から音楽的感性を受け継ぎ、東京音楽学校ピアノ科へ入学し本居長世に師事。卒業後、助手を務めつつ作曲部に再入学し、洋楽と邦楽の融合を模索する新日本音楽運動に参加。児童文学誌「赤い鳥」にて北原白秋等と組み多くの童謡を書いた。その後ベルリンに留学、帰国後は東京音楽学校教授となるが作曲に専念するため辞任し、NHK子供番組や児童合唱の指導にも尽力した。 代表作『鯉のぼり』『浜千鳥』『叱られて』『春よ来い』『靴が鳴る』など
11月17日
11月16日 誕生日 まど・みちお
11月16日 誕生日 まど・みちお(1909.11.16〜2014.2.28) 山口県生まれの詩人、作詞家。5歳の時、父親の仕事で家族が台湾へ移り住み、ひとりだけ祖父の元に残され、その時のさみしさや孤独が詩作の原点となったという。10歳で家族のいる台湾へ移住、台北工業学校在学中に同人誌で詩を発表。1934年『コドモノクニ』の童謡募集で北原白秋に選ばれたことを機に創作活動を本格化。戦時中は陸軍船舶工兵として従軍、終戦後は出版社に入り『チャイルドブック』創刊に携わる。1959年に退社して詩と童謡に専念し、『ぞうさん』を含む多くの作品を発表。多数の児童文学賞をはじめ、国際アンデルセン賞作家賞を日本人初受賞。晩年は「老い」をテーマにした詩も多く、100歳でなお創作を続けた。 やぎさんゆうびん/ぞうさん(團伊玖磨)|一年生になったら(山本直純)|ふしぎなポケット(渡辺茂)
11月16日
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