先の公演に際し、FBページ、Twitterで連載したものをまとめてみました。
ゆっくりお楽しみください♪
シューベルトの美しき水車小屋の娘⭐︎豆知識1
1823年5月〜11月にかけて書かれた曲集。今年は作曲200年!
水車は人類が開発した最も古い原動機で、紀元前2〜3世紀頃から記録がある。揚水、脱穀、製粉、紡績など。ここでは製粉、つまり粉屋の娘。
詩人の「Müller・ミュラー」 は粉屋の意味。
シューベルトの美しき水車小屋の娘⭐︎豆知識2
時代はシューベルトから少し戻り1789年、イタリアのオペラ作曲家、ジョヴァンニ・パイジェロの「美しき水車小屋の娘/La Molinara」が大ヒット。ドイツでもシューベルトの歌曲集と同じ題名"Die schöne Müllerin"として上演され、大人気となった。かのゲーテも水車小屋の娘を巡る詩をいくつか書いている。
特に劇中で歌われる「Nel cor più non mi sento/もはや私の心には感じない(二重唱)」は、ベートーヴェン、パガニーニらに編曲され、日本でも「イタリア古典歌曲」として声楽初心者の大事なレパートリーとなっている。
ミュラーが「水車小屋」の詩を書いた背景には、このオペラの大ヒットがあった。
*パイジェロは1740〜1816年、ハイドンやモーツァルトと同じ時代を生きた、イタリアの人気オペラ作曲家。
時の権力者・エカテリーナ2世、ナポレオンらに寵愛され、ロシアとフランスでも活躍。
ロッシーニ以前にオペラ「セヴィリアの理髪師」を作曲し大ヒットを放った。
美しき水車小屋の娘⭐︎豆知識3
ヴィルヘルム・ミュラーは1796年、独デッサウで生まれ。
ベルリン大学で文献学を学ぶが、諸国民戦争でプロイセン軍に入隊しナポレオン軍と戦う。
故郷へ帰り古典の教師、図書館長等を務めるが、1827年、32歳で早逝。
ちなみにシューベルトは1797〜1828、生年、没年とも1年違いの同じ時代と年数を生きたが、二人に面識はなかった。
軍役の後、ミュラーはベルリンの文学サロン:エリザベート・フォン・シュテーゲマン女史が木曜日に主宰するサロンに参加するようになり、「水車小屋の娘」のもととなる詩もここで生まれた。「少年の魔法の角笛」の編集者であるA.アルニム、C.ブレンターノや、音楽家のL.ベルガーらと知り合う。
またルイーズ・ヘンゼルと言う女性の詩人と出会い恋に落ちる(ルイーズはメンデルスゾーンの姉、ファニーの夫であったヴィルヘルム・ヘンゼルの妹に当たる)。
*「サロンとは?」をChatGPTに質問して得られた答えが右下の画像です。
美しき水車小屋の娘⭐︎豆知識4
パイジェロの「水車小屋の娘」のヒットを受け、ミュラーの参加するサロンでもその歌芝居が行われた。
ミュラーは歌のための詩を提供し、その名の通り「粉屋の青年」役を演じた。
この「歌芝居・美しき水車小屋の娘」からおよそ1年後に、サロン参加者の一人、ピアニストで作曲家のルートヴィヒ・ベルガーにより、この歌芝居から選ばれた10篇の詩による歌曲集が出版された。うち5編はミュラーの詩である。
一方ミュラーは5年後に、詩を書き足して詩集『水車屋の美しい娘』を発表。
『旅する角笛吹きの遺稿からの詩集(Gedichte aus den hinterlassenen Papieren eines reisenden Waldhornisten)』に収められている。
美しき水車小屋の娘⭐︎豆知識5
シューベルトはこの本と友人宅で出会う。借りて帰った翌日には3篇の詩に曲がつけられていたという。
シューベルトが省いたのは
プロローグ、エピローグ、そして
「Das Mühlenleben/水車小屋の生活」
「Erster Schmerz,letzter Scherz/最初の痛み、最後の冗談」
「Blümlein Vergißmein/忘れて花(造語)」の3篇
この5篇を朗読として収録したファスベンダーのCDを紹介。
1823年5月から9月にかけて作曲、友人のアマチュアテノール歌手・カール・フォン・シェーンシュタインに献呈。
翌年ザウアー&ライデスドルフ社から作品25として出版された。
出版譜についてもう一つ。
シューベルトの友人・フォーグルが歌っていた装飾をもとにした、装飾付きの楽譜がディアベリ社から出版された。(ベートヴェンのディアベリ変奏曲で有名なこの方は、作曲家で出版社経営者)
装飾だけでなく、色々な改変があり、今日では問題になる楽譜だが、当時は初版の楽譜よりよく売れたそうだ。
今回の演奏会ではペータース版を使った。ベーレンライター版も検討したが、版によって移調が違うので前者を選んだ。
美しき水車小屋の娘⭐︎豆知識6
曲集では印象的な3つの色が登場する。青、白、緑。
小川や彼女の瞳、岸辺に咲く花は青、粉屋の青年は白、そして恋敵の狩人を象徴する色は緑。
水車小屋の娘の好きな色は緑色だった。
余談だが18世紀後半から19世紀にかけて、色鮮やかな緑色、シェーレグリーンとパリグリーンが大流行する。ところがこの顔料には大量のヒ素が使われており、特に人気の高かった緑の壁紙を施した家からは、謎の病人、死者がかなり出たらしい。かのナポレオンもセントヘレナ島の家には緑の壁紙を施したが、頭髪から大量のヒ素が検出されている。
一方、白色も負けておらず、毒性で有名なのには白粉に使われていた鉛白がある。
16世紀のエリザベス1世の白塗りの肖像画は有名だが、肌には白粉の鉛白、口紅には水銀、と毒を塗りたくっていたわけだ。
当然具合も悪かったが、血色の悪いのを隠そうとさらに白粉を重ねていたらしい。
青に関しては強い毒性についての記事は確認できなかったが、上記のエリザベス1世の時代には、白い肌に静脈が浮いてるのが美しいとされ、静脈を青色で描いていたとのこと。
美の価値観とはなんぞや。
美しき水車小屋の娘⭐︎豆知識7
★全20曲の内容を箇条書きにしてみたー!★
(※ChatGPTは使っておりません)
1. 新たな遍歴の旅に出かけよう!
2. 小川はゆくよ、さらさらゆくよ、僕もゆくよ、小川に沿って
3. 水車小屋発見!
4. 小川よ、水車小屋の娘の所に導いてくれてありがとう
5. 人一倍の仕事ができたら彼女に振り向いてもらえるだろうに・・・
6. ねえ、小川よ、彼女は僕を好き?嫌い?好き?嫌い?好き?嫌い?
7. ああ、あらゆるものに刻みたい、「僕の心は君のもの!」
8. 僕「おはよう」君「・・・」
9. 花々よ、僕の代わりに彼女の夢で愛をささやいて
10. 彼女と小川でデート中、雨が降り出した。「私帰るね」
11. 愛する彼女は僕のもの!
12. 恋が実って胸がいっぱいで、詩が書けない
13. 緑が好きな彼女に、緑のリボンをプレゼント
14. 狩人め、俺の邪魔をするな!
15. 小川よ、彼女の心変わりを咎めてくれ
16. 彼女の好きな緑を纏おう
17. にっくき緑と哀れな白
18. 彼女が僕を思い出す時、僕と共に墓に眠る花々よ、咲きいでよ
19. 恋に敗れた若者は、優しい小川に身を委ねる。水底の冷たい休息へと
20. 若者に安息を。邪魔するものは遠ざけよ。川底から見上げる空の広さよ
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